新世紀エヴァンゲリオン - エピソード別解説

新世紀エヴァンゲリオン」のエピソード別解説です。物語の流れ、感想、思い付いた事などを書いて行きながら、解説が必要そうなところでは解説を挟むと言った形になっています。解説部分に就いては解説と呼べるようなものでは無いかも知れませんが...。(あやちゃんに「エヴァンゲリオン」の資料を見る事を禁止されているため...あやちゃん曰く、「作品の中で表現されている事が作品の全て。その中で解釈するのが基本」との事...資料など一切見ずに全て作品の中で表現されている事と自身の知識と感覚だけで書いています。そのため著しい見当違いをしている場合も多くあると思います。また、見当違いのまま解釈の暴走を起こしている場合もあると思います。)

放映、公開された順番を無視して新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」からの解説になっています。

新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」

劇場版に関しては旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」から「シト新生 DEATH & REBIRTH」()、「Air/まごころを、君に THE END OF EVANGELION」、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」から「DEATH(TRUE)2」、「Air/まごころを、君に」、旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」(「終わる世界」、「Air」、「世界の中心でアイを叫んだけもの」、「まごころを、君に」を収録)から「Air」編、「まごころを、君に」編(※※)と言う順で見ています。少しだけリリース順を無視しています。記事の掲載順は(こちらは見た順を無視して)「Air/まごころを、君に」を先に置き、「シト新生 DEATH & REBIRTH」を後に置きました。

(DEATH」編は「DEATH(TRUE)2」になっています。)

(※※旧リリース版「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」に収録されている「Air」編、「まごころを、君に」編は、劇場版「Air」編、劇場版「まごころを、君に」編と比較すると、その一部に差異が見られます。但し、それが見られるのは主に物語に影響の無い箇所(アイキャッチやエンディングなど)での事となっています。態々、確認する必要があるほどのものとは言えず、「Air」編、「まごころを、君に」編に関しては劇場版「Air」編、劇場版「まごころを、君に」編を見ておけば十分だと言えます。)

新世紀エヴァンゲリオン 「TV版」+「ビデオフォーマット版」

ヱヴァンゲリヲン新劇場版

作り手側は「エヴァンゲリオン」と言う夢を人々の中に築き、そして、旧劇場版においては物語と共に人々の中のそれ(「エヴァンゲリオン」と言う夢)を破壊し、全てを終わらせました。夢の作り手が劇場に夢を見に来た人々に対して碇シンジ(夢への逃避から現実へと目を向ける姿)を通して「夢から覚めて現実へ帰れ」と言うメッセージを送り、更に、劇場に夢を見に来た人々に対して夢の終わりを(破壊と言う形で)きちんと用意してあげたのが旧劇場版であったと思います。(少なくとも旧劇場版を見終えた時の姫は勝手にそのように受け取りました。)安易な夢に寄り集まり夢中になっている人々(夢を見ようと劇場へ足を運んだお客)への皮肉とも、夢の作り手として自分達で自分達の仕事(存在)の価値を失い兼ねないとも思えるような事をしてまで終わらせたはずの「エヴァンゲリオン」。その事からすれば旧劇場版を以て完結...としなければいけないように思いますし、あれで完結したものと思っていたのですが...新劇場版があるところを見ると違っていたようです...。

人々の中に夢を築き、それが聳え立っていた場所を空き地に近い状態へと変えた作り手が、今度は人々の中のその空き地(「エヴァンゲリオン」の跡地)に何を立てようとしているのか...。夢を見にやって来た人々に夢の終わりを与え、夢から目を覚まして現実を生きろと言い、物語を終わらせると共に「エヴァンゲリオン」からの人々の解放を行って(試みて)おきながら(旧劇場版の内容から姫が勝手にそう捉えているだけですが...)、再び人々に夢を見せようと、人々に劇場(夢を見るための場所、人々が夢を見にやって来る場所)へと足を運ばせようするのですから...夢を作り、壊した後に、まだ作り足りなかったのか、人々に見せ足りなかったのか...どうしても見せたい余程の夢があるのかも知れません。旧劇場版を見終えた後、新劇場版を見る前にそう思いました。(「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 序」を見る前。)

(旧劇場版で行われた破壊は再生のための破壊だと受け取っていましたが、それは作り手側が再生のための土地(再び「エヴァンゲリオン」を建てるための場所)を得るための破壊では無く、受け手側の中にある「エヴァンゲリオン」が建っていた土地を空き地に近い状態へと戻して受け手側に返還するための(即ち、受け手側を「エヴァンゲリオン」から解放し、自由な再生を行える場所と、それを行う機会とを与えるための)破壊だと思っていましたし、そうであって欲しいと思っています。現実と向かい合う事を投げ掛けると共に夢の終わりを用意し、人々を夢から解放したのですから、破壊して返還した土地の再生はそれぞれの人に任せて(何を思うのも描くのも本人達の自由にさせて)欲しいと思いますし、夢の終わりを与えた側が夢の続きを新たに用意してくれなくても良いと、「エヴァンゲリオン」の跡地に(用の済んだ)「エヴァンゲリオン」を再び立ててくれなくても良いと、少なくとも姫はそう思っています。そうで無ければ、もし、先に進んでいる人間を再び呼び戻すような事、同じようなものを使って再び夢の虜を作り出そうとするような事をしてしまえば、旧劇場版は何だったのだろうと思ってしまいますので。考え過ぎかも知れませんが、もし、これが夢の売り手としてキラーコンテンツの延命によるお金の吸い上げが目的であったとするなら、それは悲しい事だと思います。夢を終わらせ、捕まえていた心的領域を本人達に返還したものの、心変わりしてそれを手放したく無くなっただけだとするならば...。そのような事では無い事を願いつつ、新劇場版を見ようと思います。(同じく、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 序」を見る前の追記。))

新劇場版の「」、「」、「Q」のタイトルは「序破急」からでしょうか。

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