新世紀エヴァンゲリオン劇場版 「Air/まごころを、君に」 第25'話 「Air」 【解説】

第25'話 「Air」

Air」ではセカンドインパクト、人類補完計画、使徒に就いて色々と明らかになる部分があるので、その辺を中心に見て行きたいと思います。

新世紀エヴァンゲリオン劇場版

本編開始前。黒背景に白色の文字で「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」と書かれた画面()が表示されます。

(これは旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の「Air/まごころを、君に」(「DEATH(TRUE)2 & REBIRTH」+「Air/まごころを、君に」のDISC-2)の「まごころを、君に」編と、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版(revival of EVANGELION)」の「Air/まごころを、君に」(「DEATH(TRUE)2」+「Air/まごころを、君に」のDISC-2)の「まごころを、君に」編では見られましたが、旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」の「まごころを、君に」編(テレビシリーズと劇場版が混在。「終わる世界/Air/世界の中心でアイを叫んだけもの/まごころを、君に」の順で収録されている)では見られませんでした。)

赤い十字の領域内の「THE END OF EVANGELION」の文字

旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の「Air」編では本編開始前に「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の表示が行われるが、旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」の「Air」編ではこの画面は見られない。(引用画像は新リリース版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」。)

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

「Air」とは?

第25'話には「Air」と言うタイトルが付けられています。しかし、この「Air」と言うタイトルが何を指しているのか、どう言った意図で付けられたものなのかは直ぐには理解出来ないのでは無いかと思います。そこで、先ず最初にこの「Air」に就いての考察を、一般から古代思想や魔術的思想にまで範疇を広げ、行ってみたいと思います。

「Air」は日本語の「空気」に当たる言葉です。「空気」は広い意味では地球を包み込んでいる大気であり、化学的には窒素、酸素、二酸化炭素、その他の混合気体だと言えます。通常、人間はこの「空気」から生体活動、生命維持に必要な酸素を得ています。言葉としては「雰囲気(元々大気の意)」と言う意味でも用いられます。音楽では旋律やアリアと言った意味にもなります。

古代の思想や魔術的な考えを持ち込むと、この「Air」と言う言葉は四大元素の「風(大気)」として捉える事も出来ます。四大元素とは「火」、「水」、「風(大気)」、「地」の四つの元素(性質)の事で、四大元素を用いた考え方の中では万物はこの四つの元素から構成されていると考えられていました。現代魔術では物質の構成要素としてでは無く物事と事物の中に含まれる性質として扱われます。以下、古代思想や魔術的思考の中での「風(大気)」に就いてになります。

四大元素の「風(大気)」は「どこにでも吹く風」です。どこにでも存在していて、どこにでも入り込みます。目に見えず、決まった形を持たず、速やかで、流動的で変わりやすいものです。固定される事無く常に変化を続ける「風」は気まぐれで不安定な存在に見えますが、大きな視点で見た場合はその流動性は安定性や永続性に繫がるものとなります。

「風(大気)」は四大の中では「火」の次に軽い上昇原理であり、男性的な性質(男性的生産力)を持った元素です。その透明の体内には湿気を含んでいます。故に質は「熱にして湿」になります。図形では内側に横棒を持った上向きの三角形として表されます。

「風(大気)」は媒介者でもあり、言葉(音)、花粉、匂いなどを運びます。幾分か水星(伝達者としての水星)的な側面を持っていると言えます。また、第五元素と完全に切り離されていない場合も見られ、霊的な性質、プネウマ的な性質を幾分か(場合によっては多分に)持たされる事もあります。

「風(大気)」は方角では東、時間では夜明け、五感では嗅覚、ケルブ(四聖獣)では人間に照応します。

「風(大気)」は生命の樹ではケテル(王冠)とコクマー(知恵)を結ぶ小径(1-2)に配属されます。

この小径(1-2)はケテル(王冠)からの最初の流出です。ここでの「風(大気)」はケテル(王冠)(=霊)の霊性をコクマー(知恵)へと運ぶ「風(大気)」であり、その内にはケテル(王冠)の霊性(第五元素)を含んでいます。霊性を含んだ「風(大気)」は人間に生命活動を与える呼吸(含まれる霊性(神の息吹、プネウマ、活動の根源)を取り込む呼吸)でもあります。しかし、この呼吸は命を与えているだけで「言葉(ロゴス)(=コクマー)」にはまだ至っていません。

生命の樹の1-2の径にはヘブライ文字ではアレフ(雄牛)(原初の渦巻く力)が配属されます。アレフは(去勢された)雄牛、潜在する生命の力(原動力)、原初の渦巻く力です。アレフは本来は男性的性質ですが(隠されたI(ヨッド)(=男根)(=精子))、ケテル(王冠)から流出してコクマー(知恵)(=男性原理)に至る前のこの小径では無性別的だと言えます。

アレフは「Zero(ゼロ)」と「Unity(統一、単一)」を意味する文字でもあります。アレフは第一の文字であり、その数価は「1」です。「1」は全ての源となる数であり、そこでは全てが「単一」の状態です。その一方で潜在的な男性的原動力であるアレフは「ゼロ」、「無(まだ何も生み出していない状態)」であり、「沈黙(言葉(ロゴス)を持たない状態)」でもあると言えます。アレフは全ての可能を含んだ「統一(単一)」ですがそれは「1」の内に内在したままで顕現していません。

アレフ(ALPh)のゲマトリア数は「111」であり、ここにも「ゼロ」と「統一」が隠されています。「111」には「3=1」、三位一体の教義が含まれています。また、「111」と言う数は「ASN」、即ち「破滅」、「破壊」、「突然の死」を表す言葉とも同じ数になります。

アレフは隠されたI(ヨッド)(IVD)でもあり(アレフはI-V-Dによって構成されている)、その数価は「10」。それは「0に戻る1」でもあり、「ゼロ」と「統一」でもあります。

生命の樹の1-2の径にはタロットでは愚者(霊性を宿して彷徨う王子)が配属されます。愚者には番号「0」が与えられています。愚者は霊性を宿した状態で風のようにこの世を彷徨い歩きます。愚者は全てを知るものですが、その全てが未然(ゼロ)の状態です。生まれて間も無い無垢な子供であり、あらゆる可能を含んでいますが、まだ何も生み出していません。しかし、その内には確実に男性的創造のエネルギーが眠っています。愚者のカードは新たな世界への始まりであり、それは繰り返される始まりでもあります。配属される小径と同様、始まりへの道でもあり、帰還への道でもあります。

生命の樹の1-2の径には神格ではゼウス(ユピテル)などの大気の神、また、タロットの愚者との関係からハーポクラテス(ホール=パアル=クラアト)、ディオニュソス(バッカス)などが配属されます。ハーポクラテスは沈黙の神、童神(性的純潔)、潜在意識に眠っている男根的(太陽的)エネルギーと関係しています。(子供の神としてのハーポクラテス(子なるホルス)はティファレトにも配属されます。)ディオニュソス(バッカス)は葡萄酒と酩酊の神で、ゼウス(大気と稲妻の神)の太腿(男根)から生まれた豊穣の神であり、太陽的な性格(冬に死に春に復活する)を持った神です。(故にティファレトにも配属されます。)

「風(大気)」は神聖四文字(テトラグラマトン)「IHVH」ではV(ヴァウ)(=空気の文字)(=息子)に照応します。V(息子)は最終形態のH(=地)(=王の娘、花嫁、処女)を「孕ませる者」です。この「風(大気)」は対立物(「火(父)」と「水(母)」)の結合の結果(息子)であり、双子の妹であるH(最終形)(娘=王国(マルクト))を孕ませて(浄化して)霊の玉座(母=理解(ビナー))へと上昇させます。

「IHVH」の「V(ヴァウ)(=空気の文字)」は生命の樹のティファレト(美)とも関係します。ティファレトは生命の樹の中心(心臓)に位置する太陽的な美(調和)のセフィラです。深淵の上の三つのセフィラ全てと繫がりを持つセフィラで、深淵下で唯一ケテル(王冠)と繫がっているセフィラでもあります。心理学ではユング心理学での「自己(セルフ)」、魔術では「聖なる守護天使」とも関連します。元素では「風(大気)」。神格では太陽神、童子神、死する神(犠牲になる神)、酩酊の神などが配属されます。太陽神アポロ(アポロン)、太陽神ラー、オシリス(ウシル、アサル)(死して蘇る神)、ディオニュソス(バッカス)(死して蘇る神、酩酊の神)などです。また、ティファレトはキリスト中枢とも呼ばれ、キリスト(子なる神、第2のアダム、受肉した神、犠牲になる神、死して復活する神、贖罪者、天と地の仲介者、調停者、救済者、蘇りて王国の王となる者)とも関係します。「劇場版エヴァンゲリオン」では十字架に掛けられた碇シンジがここに配属されます。

「風(大気)」は孕ませる者である一方、その内に湿気や言葉(音)や匂いなどを含みますが、それは「風(大気)」がこれらを身篭っていると言う訳ではありません。「風(大気)」そのものは不毛であり、「風(大気)」が何かを身篭り出産する事はありません。大気と稲妻の神ゼウスはどこにでも現れて女神や女性を孕ませて回る一方で、自身の体内からアテネ神やディオニュソス神を生み出していますが、それは飲み込んだものを排出しただけに過ぎず、ゼウスが妊娠して出産したのではありません。「風(大気)」は内に様々なものを含む性質を持っていますが、やはり本来的には不毛だと言えます。

「風(大気)」は魂の部位ではルアク(=空気、息、精神)に照応します。ルアクは人間の理性(推定、判断する心)です。

「風(大気)」は魔術武器では剣と関連付けられます。剣は人間の理性、論理的思考能力の象徴であり、対象を分断、破壊する力です。この分断、破壊する力は正しく方向付けられて振るわれている時は王国(自我)を内外から守る力となりますが、狂気や熱狂に取り付かれて闇雲に振るえばあらゆるものを破壊し尽くす事さえあります。

「風(大気)」は激しく対流すれば嵐となり、穏やかな時とは一変して破壊的な力で襲い掛かる者へと変わります。それはどこへでも向かい、あらゆるものへと襲い掛かります。

「Air」から思い付く事を取り留めも無く書き連ねて来ましたが、正直なところ「Air」と言うタイトルがどう言う意味や意図で付けられたものなのかは分かりません。ですが、これらの中にはこの「劇場版エヴァンゲリオン」の中に見て取る事の出来る部分もあり、正解は無いにしても当たらずとも遠からずと言ったものもあるのでは無いかと思います。全てが全くの見当違いだったとしたら悲しいのですが...。

姫が日常生活で感じているところで言うと「空気」とは...目に見えなくてもそこにあり、空間を満たしていて、不安定で決まった形を持たないけど人間にとって大切なもの...かな。

英語タイトル「Love is destructive.」

「Love is destructive.」...直訳すると「愛は破壊的」。もう少し言葉を(素直に)増やした形で訳すと「愛は破壊に似た性質を持つ」と言う意味になります。

(特に本能的な愛、自然の中の愛においては)愛そのものは結び付こうとする力であり、その本質は引きつけられる仕組みであると言えます。しかし、愛はその過程や結果において(例えば不安や不満足などによって、あるいは仕組みによって)破壊や反発などを伴う事があります。愛に伴う破壊や破壊衝動は愛に付随、複合するものであり、愛そのものでは無いのですが、「愛は破壊的」と言う言葉は愛のそう言った破壊や破壊衝動を生じる側面の事を指しているのかも知れません。

例えば、(自分から愛そうとするのでは無く)愛されたいと願う者の場合、他者の愛が思ったように得られない事によって攻撃衝動が生まれ、それによって対象に対して自分を愛する事を強要したり、攻撃衝動を抑えられずに対象や、その攻撃衝動を自分自身へと向け、自分自身を攻撃したりする事があります。碇シンジはこれに近いように見えます。また、自ら他者を愛する場合も自分の愛が受け入れられない事、見返りを得られない事で攻撃衝動を生む事があります。赤木リツコがこれに近いように見えます。

神の愛や高次の精神的な愛は本能的な愛や自然の中の愛よりも少し複雑です。それは育み見守る愛と破壊の力を兼ね備えていると言えます。神においては大洪水からノア一家を救った慈悲も愛ですし、地上の惨憺たる様を見兼ねて行使した破壊の力(大洪水)もまた愛です。ロト一家を救ったのも、ソドムとゴモラを硫黄の火で滅ぼしたのも愛です。こちらの破壊は前述のものよりは(その根源的な部分には本能的な愛の影響があるとは思われますが()、少なくとも表面的は)理性的で意図的なものだと言えます。(あたかも神が自律的な存在であるかのような表現になっていますが、これは神イメージに就いてです。)

(神(イメージ)は本能的に人間との繫がりを求めていますが(そう見えますが)、それは人間が神との繫がりを求めているからであり、人間の中から流出したイメージが神の根幹部を形成しているためです。)

個として対象と共にあろうとするのでは無く、対象との合一を望むような場合は、個(自身、または対象、あるいは双方)の破壊(融解)を生じます。こちらも「愛は破壊的」と言えるかもしれません。例えば、身近な(?)ところで言えば、神との合一は個(自我)の破壊を引き起こします。愛そのものは引力であり、神への道ですが、愛の結果には破壊(融解)が待っています。(尤も魔術師(と言っても色々いるのですが...)は神の中に溶け込んで消える事が目的ではありません。それは新生のための破壊であり、変容の前の死、凝固の前の融解です。融合したまま還って来ない者とは大きく違います。)

「愛」と「破壊」に就いて見てきましたが、纏まりが付かなくなったところで少しだけカバラです。

「Air」に照応する文字「アレフ(ALPh)」のゲマトリア数は「111」です。そしてまたヘブライ語の「ASN」のゲマトリア数も「111」になります。「ASN」は破滅(Ruin)、破壊(Destruction)、突然の死(Sudden death)と言う意味を持っています。「破壊(Destruction)」と「破壊的(Destructive)」の差違はありますが、見事に(無理やり?)「Air(=アレフ)」に繫がっています。

もう一つ。アレフは「ゼロ」と「1=統一(Unity)」ですが、統一はヘブライ語では「AChD(エイカド)」と言う言葉になります。「AChD」のゲマトリア数は「13」です。これは「AHBH」、「愛する者(Belobed)」、「愛(Love)」と同じ数になります。即ち...「風(大気)」=アレフ(1)=統一(AChD)=愛(AHBH)と言う事であり、ここでもまた「Air(=アレフ)」に繫がる事になります。

この事から「愛は破壊的」の愛も破壊も「Air」と関連していると結論...付けられたら良いのですが...それにしても都合の良い方向へと導くために用いられる人間の解釈力は恐ろしいものです。

第一脳神経外科 303号室 : 碇シンジ

第一脳神経外科303号室、惣流・アスカ・ラングレーの病室。碇シンジは意識の回復していない惣流・アスカ・ラングレーに綾波レイも葛城ミサトも怖いと言って泣き付いていました。そして、助けを求めている碇シンジの呼び掛けに惣流・アスカ・ラングレーが何の反応も示さない状態が続いた後、碇シンジは背中を向けて寝ている惣流・アスカ・ラングレーを力任せに自分の方へと向けようとしますが、この時の碇シンジの行動によって(意図的にでは無いものの)惣流・アスカ・ラングレーの胸がはだけます。惣流・アスカ・ラングレーの胸が露になった後、鍵の掛けられた病室では碇シンジの息遣いだけが聞こえ、しばらくすると碇シンジの呻き声と共に碇シンジの掌に白い物体が...。

姫にとって劇場版での最大の謎はこの場面でした。これに関しては、結局、自力での解決が図れず...そこで、お友達数人で集まってアニメの話をしている時に質問する事に。

その結果、この場面は碇シンジが自慰を行っている場面だと考えるのが妥当では無いかと言う事になりました。碇シンジの手に付着していた白い物体は碇シンジが自らの男根を(恐らくは)手によって直接刺激した結果射精された「精液」らしく、碇シンジは惣流・アスカ・ラングレーの胸を見て欲情し、自慰行為に及んだものと思われるそうです。呻き声は射精時のものでは無いかとの事でした。

碇シンジの手に付着した精液

碇シンジの手に付着する謎の物体。後の調査(?)によって精液である事が判明。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

碇シンジの手に付着した血液

第壱話「使徒、襲来」より。碇シンジの手と付着した血液。上図の場面はこの場面との対比になっているようにも見える。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン (c) GAINAX ]

この場面での碇シンジにどの程度の理性が働いていたのか、どのような判断の下で自慰行為に及んだのかは姫には良く分かりません。本当は惣流・アスカ・ラングレーとの性器的な結合を望んでいたものの、その欲望を抑えて自慰行為に留めたのか...性器的結合では無く最初から自慰行為を望み、望んだ事を望んだままに実行したのか...。恐らくは後者では無いかと想像しますが、どちらにしても欲望を抑え切れなかった事は確かだと言えます。

碇シンジの射精後、精液の付着している手がクローズアップされますが(上図)、この場面以外にも「エヴァンゲリオン」の中では手がクローズアップになる場面が度々現れています。手は意を実行する器官であり、手を使った意の実行は原始的で最も直接的な方法だと言えます。(それ以外にもエヴァの中では充足や不足、自信の表れや自信のなさを表現するものとしても使われていますが。)ここでの精液の付着した手のクローズアップは意を実行した結果を表したものですが、そこには碇シンジの行った自慰が碇シンジの手(=碇シンジの意)によって行われた事を強調する意図が含まれているのでは無いかと思われます。(他に表現のしようが無かったためこのような表現方法になった可能性も十分にありますが。)

ここでの碇シンジは、存在理由を失い眠っている空っぽの惣流・アスカ・ラングレーに対して自分の苦しみばかりを訴えてすがり、更にその裸体を前に性欲を抑える事もしませんでした。今の碇シンジは他人の尊厳を汚し、自分自身の価値も下げているだけの存在に見えます。碇シンジが必要としているのは個としての惣流・アスカ・ラングレーでは無く、単に自分を苦しみから救済してくれる人間であり、「他人の事どころでは無い」碇シンジにとっては個としての惣流・アスカ・ラングレーの事などどうでも良いのかも知れません。

自慰は戦わずに自分一人で手に入れる事の出来る快楽であり、今の碇シンジ(戦う事を放棄した人間)にとっては手軽に手に入れる事の出来る唯一の快楽だったのかも知れません。しかし、辛い事からは逃げ、欲望との葛藤も放棄し、自らの意を実行するのは自慰行為ぐらいとなり、それすら自己嫌悪に繫がるのですから...もう碇シンジにはする事は残っていないような気がします...。

自慰行為後、精液の付着した手を見た碇シンジは「最低だ、俺って...」と呟いていていました。これは直接的には惣流・アスカ・ラングレーの裸体を前に欲望を抑え切れずに自慰に及んでしまった事への言葉だと思われます。性欲が時と場所を選ばず沸き起こる事は碇シンジにはどうしようも無い事だとしても、このような状況ではそれは抑えられるべきものであり、その事は碇シンジも分かってはいたようです。また、この言葉はもう少し広く捉えると、惣流・アスカ・ラングレーの裸体を前に自慰行為に及んだ自分に対する嫌悪だけで無く、逃避の中にある今の自分に対する嫌悪も同時に含まれていると見る事も出来ます。現在の自分全体、「苦しみから逃れようとし、意識の無い女の子に縋り付き、その挙句にその女の子を前に自慰行為に及んだ自分」への嫌悪です。

ここでの碇シンジの手は既に戦うためのそれでは無くなっているようでうす。この手は苦しみから逃避した自分の姿であり、戦わずに手に入る安易な快楽を求めて堕落した自分の姿でもあるように見えます。

カバラ的に言えば「手」はI(ヨッド)であり、I(ヨッド)は火(意志)であり、男根であり、精液(精子)を象徴しています。

この病室の場面からは碇シンジが起き上がった性的衝動をそれとして自覚出来る段階(思春期(生殖が可能な状態)、フロイト的に言えば潜伏期を過ぎて性器期)に既にあると言う事が分かります。乳児期(口唇期)には活動のためのエネルギーを受け取る器官だった女性の乳房は現在では性欲の対象へと変わり、快感を得る方法もリビドーの発達と共に乳房を吸う事から性器を刺激する事へと変化したようです。

口唇期(第拾六話「死に至る病、そして」)

第拾六話「死に至る病、そして」より。乳房を吸う事で活動のためのエネルギーを得ていた口唇期の碇シンジ。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン (c) GAINAX ]

惣流・アスカ・ラングレーの乳房

目の前にある惣流・アスカ・ラングレーの乳房。リビドーの発達により現在の碇シンジには性欲を喚起する対象になっている。裸体は人の思考的脳を感情的脳へと切り替えるものではあるが、ここでの碇シンジの思考的脳は崩壊寸前だった事もあってか簡単に感情的脳へと切り替わってしまったように見える。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

また、この場面からは現在の碇シンジの自我が欲望に対抗出来ない、あるいは対抗しようとしない状態である事が分かります。自我の発達が遅いのか、碇シンジは元々自我の適応能力が低く、その幼い自我がこの段階では更に環境や経験によって機能の低下を起こしているようにも見えます。(発達過程の未熟な自我であったとしても普段であれば理性的な判断によって抑える事が出来たのかも知れませんが...。)また、碇シンジは今までにも意識的に葛藤から逃れようとしていたところがあり、自我を守るための葛藤の放棄が欲望まかせの自慰行為に繫がったのかも知れません。

戦う事から逃れて他人に助けを求め、葛藤を放棄して欲望の赴くままに行動した結果(精液の付着した手)を見た碇シンジが感じたものは結局は自己嫌悪でした。碇シンジはこの後、救われない苦しみからの逃避を続け、その末に「苦しみの根源である自分と世界」を拒否する事になりますが、そこに至る碇シンジの心の前段階をこの場面に見る事が出来ます。

第一脳神経外科 303号室 : 惣流・アスカ・ラングレー

自分の存在理由を失い、病室のベッドで意識無く眠っている惣流・アスカ・ラングレー。碇シンジの目の前で眠り続ける惣流・アスカ・ラングレーは碇シンジにとって都合良く苦しい時にすがり付く対象、更には性欲の対象としての存在になっていました。

惣流・アスカ・ラングレーは誰からも必要とされなくなり(必要とされなくなったと思い)今の状態に至ったようですが、一応、碇シンジには、非常に都合の良い存在として、必要とされているようでした。しかし、いくら惣流・アスカ・ラングレーが他人に認められる事、必要とされる事によって自分の存在価値を見出していたとしても、このような求められ方は惣流・アスカ・ラングレーが望むところとは無いと思います。さすがに惣流・アスカ・ラングレーが可哀想に思えます...。

タイトル表示 - 第25話 Air/:REBIRTH

惣流・アスカ・ラングレーの病室で碇シンジの「最低だ、俺って...」の呟きがあった後、タイトル表示が行われます。

ここでは「シト新生 : DEATH & REBIRTH」の「REBIRTH」編と「Air/まごころを、君に」の「Air」編とで違う表示が行われていました。

シト新生 : DEATH & REBIRTH」の「REBIRTH」編では、黒背景の中央に赤色で右に90度転倒した状態の「EVANGELION」の文字が表示された後、黒背景に白色で「:REBIRTH」の文字が表示されていました。

Air/まごころを、君に」の「Air」編では、黒背景の中央に白い正方形の領域があり、その領域内に黒色で「第25話 Air」の文字(「第25話」は縦書き、「Air」は横書き)が表示されていました。

右に90度転倒した「EVANGELION」の文字

「シト新生 : DEATH & REBIRTH」より。右に90度転倒した「EVANGELION」の文字の後...。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

「:REBIRTH」の文字

「:REBIRTH」の文字が表示される。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

「第25話 Air」の文字

「Air/まごころを、君に」の「Air」編より。「第25話 Air」の文字が表示される。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

補完計画発動前 : 葛城ミサト

以下、人類補完計画に就いて。葛城ミサトの台詞です。

葛城ミサト :
「出来損ないの群体として既に行き詰った人類を、完全な単体としての生物へと人工進化させる補完計画。そのためにまだ委員会は使うつもりなんだわ。アダムやNERVではなく、あのエヴァを。加持くんの予想通りにね」

人類補完計画の目的と目標がこの段階で明白になります。具体的な方法はエヴァが必要だと言う事しか分かりませんが、人類補完委員会がエヴァを使って人類を完全な単体へと人工進化させようと考えている事が分かります。

補完計画発動前 : ゼーレと碇ゲンドウ

以下、ゼーレと碇ゲンドウ、冬月コウゾウの遣り取りからです。

SEELE 01(キール・ローレンツ) :
「約束の時が来た。ロンギヌスの槍を失った今、リリスによる補完は出来ぬ。唯一リリスの分身たるエヴァ初号機による遂行を願うぞ」

碇ゲンドウ :
「ゼーレのシナリオとは違いますが」

ゼーレは本来は「リリスによる補完」を望んでいたようです。しかし、そのためにはロンギヌスの槍が必要であり、それが無い現在の状況ではリリスによる補完には不可能。ここに前出の葛城ミサトの台詞を繫げるとゼーレは「リリスによる補完が無理なのでエヴァを使って補完を行おうとしている」と言う事になります。以下、遣り取りの続きです。

冬月コウゾウ :
「人はエヴァを生み出すためにその存在があったのです」

碇ゲンドウ :
「人は新たな世界へと進むべきなのです。そのためのエヴァシリーズです」

SEELE 09 :
「我等は人の形を捨ててまでエヴァと言う名の方舟に乗る事は無い」

「方舟」は新世界を待つ生命の子宮でもあります。生命はそこから再び地上(水によって浄化された新世界)に降りて繁殖します。碇ゲンドウの人類補完計画がどよのようなものか不明ですが(この後の第26'話「まごころを、君に」でも日の目を見ずに終わったため謎のままです)、方舟が「世界が浄化されるまでの生命の種の避難場所」と言う意味で使われているのであれば、「エヴァに乗り、世界が浄化された後、エヴァから降りる」事になると思います。そしてエヴァに乗るためには「人の形を捨てる」必要があると言う事になります。また、選ばれた生命しか乗る事が出来ないかも知れません。

「方舟」がそこまで含めた比喩で無いのであれば、「方舟」と言う言葉よりも「人の形を捨ててまでエヴァに乗る」と言う言葉の方が重要になると思います。この場合、エヴァに乗るために人の形を捨てる必要があるのでは無く、エヴァに乗る事が人の形を捨てる事のようにも聞こえます。もしかするとエヴァと一体化した(エヴァを体にした)生命体として生きて行く、それが新たな世界と言う事なのかも知れません。起こっていない事に就いては推測しか出来ませんが、そう言うようにも捉える事が出来ます。

SEELE 12 :
「これは通過儀式なのだ。閉塞した人類が再生するための」

SEELE 不明1 :
「滅びの宿命は新生の喜びでもある」

SEELE 不明2 :
「神も人も全ての生命が死を以て、やがて一つになるために」

碇ゲンドウ :
「死は何も生みませんよ」

SEELE 01(キール・ローレンツ) :
「死は君達に与えよう」

「神も人も死を以て、やがて一つになるために」...これもタイトル「Air」からカバラ的に導き出す事が出来ます。「Air」=「アレフ(統一)」=「111」=「ASN」=「破滅(Ruin)、破壊(Destruction)、突然の死(Sudden death)」と言ったようにです。見事に「統一」と「死」が結ばれています。(結ばれるように運んだのですが...。)

「神も人も」は人が滅べばとりあえずのところは神(神イメージ)も死ぬのでそう言う表現なんだと思います。「人も神も」の方が適当かも知れませんが。

冬月コウゾウ :
「人は生きて行こうとするところにその存在がある。それが自らエヴァに残った彼女の願いだからな」

ここでの「彼女」は碇ユイの事だと思われます。自らエヴァ(恐らく初号機)に残ったようです。

NERV本部 : マギへのハッキング

NERVを無効化、無能力化するためにゼーレがNERV本部のマギ・オリジナルにハッキングを仕掛けて来た場面。碇ゲンドウは拘束中の赤木リツコを呼び出して対処に当たらせます。赤木リツコはマギに対して「Bダナン型防壁(第666プロテクト)」を施し、これにより、以後、62時間はマギへの外部侵攻不能となっていました。

以下、カバラのお話です。

この「Bダナン型防壁(DANANG TYPE-B DEFENSE SCREEN)」を「B-DANANG」として(母音を含めて)ゲマトリアで数値化するとその数値は「111」になります。この「111」と言う数はアレフ(ALPh)(ゼロと統一)のゲマトリア数と同一であり、三位一体の教義を含む数の一つでもあります。そして「Bダナン型防壁」を施されたマギも三位一体(メルキオール、バルタザール、カスパー)になっています。この一致が偶然によるものなのか意図的なものなのかは分かりませんが...。

「666」は新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出て来る「大いなる獣」=「アンチキリスト」の数です。これは「111」x「6」と言う形に分解出来ます。(このような分解はカバラに接していると多く見られるものです。)「111」は前述の通りアレフ(ALPh)(「Air」に照応)の数です。(ここでは「B-DANANG」のゲマトリア数でもあります。)そして「6」はV(ヴァウ)(空気の文字)の数価であり、ティファレトの数でもあり、どちらも「Air」と関連があります。この事から「666」はアレフ(Airと照応)の数(111)とV(Airの文字)の数価(6)、あるいはティファレト(Airのセフィラ)の関連数(6)を乗算したものだと言えます。また、「大いなる獣」は人間(の誰か)であるとされますが、人間は「風(大気)」(=Air)の「ケルブ」でもあります。

更にアレフは愚者、即ち沈黙の神ハーポクラテスであり、それは「防衛と保護の神」でもあります。ハーポクラテスが配属されるセフィラは「ティファレト(6)」です。

「B-DANANG」は三位一体のマギに三位一体(111)と調和(6)の防御、また、沈黙の神ハーポクラテス(=防御と防護の神)と調和の防御を施した事になります。ここでも全てが「Air」に繫がっているようです。ここまで重なると出来過ぎのような気がしますが、これも姫の解釈力の暴走かも知れません...。

62時間の「62」に就いてはどこから来た数字なのか見当が付かないのですが、可能性としては次のような事が考えられます。

62と言う数字は31の倍数として扱う事が出来ます。31は「AL」や「LA」のゲマトリア数として見掛ける事の多い数字です。「AL」は「The」や「God(神)」、「LA」は「Not(否)」になる言葉です。これら二つを組み合わせた言葉はどれも「62(31+31)」になります。どの組み合わせなのかは判断が難しいのですが(そもそも見当外れと言う事も...)、大いなる獣(アンチキリスト)が神では無いと言う事では「LA-AL」に、大いなる獣が神を名乗ると言う事ではその逆、神を表す組み合わせの方も考えられます。

62と言う数字は手法によってはタイトルの「Air」に繫げる事も出来ます。「62」を「6」と「2」に分けてそれらを足すと「8」になります(6+2=8)。「8」はケト(ChITh)の数価で、ケトのゲマトリア数は「418」になります(8(Ch)+10(I)+400(Th)=418)。「418」を「4」と「1」と「8」に分けてそれらを足すと「13」になります(4+1+8=13)。「13」は「AChD」のゲマトリア数と同じで(1(A)+8(Ch)+4(D)=13)、「AChD」は「統一」を意味します。「統一」は統一を意味する「アレフ」に繫がります。「アレフ」は「Air」に照応します。...と言うような感じです。一気に書くと「62」=「6+2」=「8」=「ケト(ChITh)」=「148」=「1+4+8」=「13」=「AChD(統一)」=「アレフ(統一)」=「Air(アレフに照応)」...となります。ここまで来るとカバラ(と言うよりも人間の解釈力)は無敵です...。(各位を足す手法は姫としては余り好きな手法ではありませんが、カバラでは用いられる事があります。)

それにしても...利用価値が無くなって切り捨てた赤木リツコを利用価値が出た途端に呼び出す碇ゲンドウ...息子の碇シンジをエヴァンゲリオンのパイロットとして呼び寄せた時と変わっていないようです。

NERV本部施設への進攻 : エヴァンゲリオンパイロット

本部施設とエヴァ2体の直接占拠を目指してUN軍(国際連合軍、国際国家軍)が進攻を開始します。作戦の中にはエヴァパイロットの殺害も含まれていました。

UN軍による進攻が続く中、エヴァンゲリオン弐号機パイロットの惣流・アスカ・ラングレーは意識が回復しないまま病室からエヴァンゲリオン弐号機へと移送。弐号機に乗せられて地底湖の湖底に配置されていました。エヴァンゲリオン零号機パイロットの綾波レイは自宅を出た後、セントラルドグマでLCL槽に浸かっていました。エヴァンゲリオン初号機パイロットの碇シンジは本部施設内で一人膝を抱えていました。

綾波レイがセントラルドグマでLCLらしき液体に浸かっている場面。そこには水路で結ばれた10個の円柱形のLCL槽があり、綾波レイはその中の一番手前のLCL槽の中に身を置いていました。

この10個の円形はセフィロト(生命の樹)の10のセフィラと同じ配置になっています。それらを結んでいる径は姫が普段使っているセフィロト(生命の樹)の径の配置とは違いますが、そこは色々とあるので...違っていたとしても不思議では無いと思います。

綾波レイの浸かっている槽は円形の配置から見て「マルクト(王国)」に位置しています。マルクト(王国)は物質界であり、それはビナー(理解)の天上の霊の座(女王の座)に就く前の「下位の霊の座」、身篭り母になる前の花嫁、処女の座です。また、クリフォトでは「リリス」が照応します。

セントラルドグマの綾波レイ

LCLに浸かる綾波レイ。10個の円形は生命の樹と関連があると思われる。綾波レイのいる場所はマルクト(王国)に当たる。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

第二発令所 : 碇ゲンドウ

UN軍の進攻が進む中、碇ゲンドウは第二発令所を離れます。以下はその時の台詞から。

碇ゲンドウ :
「冬月先生、後を頼みます」

冬月コウゾウ :
「分かっている。ユイ君によろしくな」

ここで碇ゲンドウが動きます。碇ゲンドウのシナリオによる補完計画を実行するつもりのようです。

恐らく、冬月コウゾウの言葉は碇ゲンドウのシナリオが実行された後の事を指してのものであり、碇ゲンドウのシナリオで人類補完計画が成されれば碇ゲンドウは(どよのうな形でかは分かりませんが)碇ユイとの再会を果たす事が出来ると言う事を示しているのでは無いかと思われます。

第二発令所を後にした碇ゲンドウが向かったのはセントラルドグマの綾波レイの下でした。以下、綾波レイに向かって語り掛けた碇ゲンドウの台詞です。

碇ゲンドウ :
「約束の時だ、さぁ、行こう」

この台詞から碇ゲンドウの人類補完計画には綾波レイが必要な事が分かります。

NERV施設内 : 葛城ミサトと碇シンジ

葛城ミサトは碇シンジの身柄の確保に動きます。

一方の碇シンジは銃弾の飛び交う中で逃げる事もせずに膝を抱えているだけでした。更に敵(UN軍)に発見されて銃口を向けられても抵抗する素振りを全く見せず、生きる意志が感じられない状態になっていました。助けに来た葛城ミサトが間に合ったため無事に済んでいたものの、そうで無ければ簡単に排除されているところでした。

葛城ミサトは確保した碇シンジをエヴァンゲリオン初号機へと連れて行こうとします。しかし、碇シンジは何もする気の起きない無気力状態のようでした。以下、その際の台詞です。

葛城ミサト :
「ここから逃げるのかエヴァのところに行くのかどっちかにしなさい」、「このままだと何もせずにただ死ぬだけよ」

碇シンジ :
「助けてよアスカ、助けてよ」

葛城ミサト :
「こんな時だけ女の子にすがって、逃げて、誤魔化して、中途半端が一番悪いわよ」、「さぁ、立って。...立ちなさい」

碇シンジ :
「やだ...死にたい。何もしたく無い」

葛城ミサト :
「何、甘ったれた事言ってんのよ。あんたまだ生きてるんでしょ。だったら確り生きて、それから死になさい」

ここでの碇シンジは、無意識がそうさせているのか意識的にそれを選んでいるのか、生きる意志の欠如している状態、魂の喪失に向かいつつある状態に見えました。この碇シンジの生きる事への積極性の放棄、自我の退行は、自我を守るための防衛のように思われます。状況は改善しませんし、生の実感も希薄で、充足も得られませんが、生きて行く事の緊張からは開放され、これ以上自我が傷付かなくて済みます。適応能力の低い自我(碇シンジの場合は発達過程にあった未熟な自我と言った方が良いのかも知れません)にとってはそれが一番楽な状態であり、碇シンジは不満足でも苦しまない事を選んだようです。

この自我の退行、自我の溶解は前向きに働けば変容の前触れの死(腐敗)、死と再生の「死」になりますが、後ろ向きに働けば原始に帰還したまま戻って来なくなると言う危険も孕んでいます。魔術師は神との合一により自我の溶解、破壊を起こしますが、それは再生のための自我の死であり、前者です。通過儀礼(通過儀式)の中で行われる象徴的な死と再生も新たな世界へと個を適応させるためのもので、その死は古い自分の死であり、その死の先には新たな世界の自分があります。

しかし、碇シンジは自我を持った個としてこの世界で生きて行く事を拒否し、集合的な無意識の海、分化前の原始への帰還を願っているように見えます。碇シンジの望んでいる死(個の消失)は、それが肉体的なものにしても心的なものにしても、ただの「死」にしか過ぎないようです。自己実現を目指している姫とは対極にあると言えます。ですが、それでも碇シンジには再生の可能性が残されているように感じられます。それは碇シンジがまだ生きていて、そして終極に向かいつつもまだ他人に助けを求めているからです。このまま現実世界を拒否して集合的無意識の中に溶け込んで戻って来ないか、現実世界への繫がりを求めてそこから新たな旅へと歩き出すのかはここから先の碇シンジ次第のような気がします。

碇シンジの生への意志の放棄、自我の退行は、心的エネルギーが個の壊滅を求める方向に働いている状態であり、これを無理に「エヴァンゲリオン」らしく言うなら(それによって正確性は欠く事になるかも知れませんが、)タナトス(死の本能)が強く働いている状態...もう少しフロイト寄りに言うならエロス(生の本能)よりもタナトス(死の本能)が優勢に働いている状態だと言えると思います。

ここでの碇シンジはその前の場面、惣流・アスカ・ラングレーの病室にいた時よりも心的状態が良く無いように感じられます。病室では惣流・アスカ・ラングレーの裸体を前にしてリビドーの突き上げに身を任せていましたが、その事もデストルドー(余り使いたく無い言葉ですが「エヴァ」と言う事で使っています)が沸き起こる傾向を強めているのかも知れません。更に生きる意志を失って何もしようとしない今の自分に対しても自己嫌悪を感じているように思われ、デストルドーが増大する一方の悪循環の中にあるように見えます。

碇シンジは簡単に「死」と言う言葉を口にしていますが、それは積極的に死を望んでいるのでは無く、生きる事(現実)の葛藤から逃避しているだけのように感じられます。

碇シンジは苦しみから逃避して死へと向かう事を望みながらも同時に現状の改善を願ってもいるようです。しかし、自分で考え、自分で戦う事を放棄している碇シンジには現状の改善は望めないように思われます。「誰か何とかしてよ、僕を助けてよ...」と思いながら膝を抱えているだけでは...。

碇シンジはここでは惣流・アスカ・ラングレーの名前を挙げて助けを求めていますが、それは惣流・アスカ・ラングレーが自分にとって都合の良い存在だからと言うだけの理由からかも知れません。動かない空っぽの惣流・アスカ・ラングレーは碇シンジが何を言っても、何を行っても碇シンジを傷付ける事はありません。碇シンジにとって安全な存在だと言えます。

動かない惣流・アスカ・ラングレーは、当然、いくら助けを求めても助けてくれる事はありませんが...もしかすると碇シンジはそれでも良いと思っているのかも知れません。今の惣流・アスカ・ラングレーが元の惣流・アスカ・ラングレーに戻ってしまえば自由に縋り付く事も出来なくなり、助けを求めても拒絶されてしまう可能性があります。他人(ここでは惣流・アスカ・ラングレー)の事など何も考えずに自分がして貰う事ばかりを考えている碇シンジならば、助けを求める一方で...安全な存在から一転して自分を傷つける存在、都合の悪い存在に変わってしまうくらいならばこのままの動かない状態、自分が自由にすがる事の出来る都合の良い存在でいて欲しい...と思っていたとしても不思議では無いように思います。それは極めて自分勝手な事だと言えるのですが...。

碇シンジが本当に求めているのは、恐らく、無条件で世界での喜びと満足を与えてくれる都合の良い存在(幼児であれば母親のような存在)であるような気がします。もしかすると碇シンジのこの一連の軟弱ぶりは、物心が付くか付かないかくらいの時期に母親がいなくなり、母親の愛(無償の愛)に包まれていた時間が短かった事や、そこからの自立を経験していない事が関係しているのかも知れません。

碇シンジは、現在、逃避の中にありますが、逃避はその性質上、根本的な解決は与えてはくれません。本来の欲求が逃避によって満たされる事は無く、苦しみから逃れる事は出来てもそこには充足が得られない事による不満足が待ち構えています。この逃避の先に残る不満足は逃避している限り解消される事はありません。そして、今の碇シンジもこの逃避による不満足を抱えている状態にあるように見えます。苦しみから逃れたものの満たされずに不満を抱えた状態に陥り、そこから抜け出したいと思いながらも自分では戦いたく無い(戦いに伴う苦しみから逃げるための逃避ですので)、そのため他者による救済や死による完全な逃避を願うようになる...。しかし、誰かが救ってくれる訳も無く...積極的に死を選ぶ事も無い...。逃げ出した者がその場所に戻って逃げ出した原因と戦うと言う事は簡単な事では無いかも知れませんが...自らの命を絶つ事もせず、今の生きたまま死んでいるような状態も不満であり、状況の改善を望むと言うのであれば、他力を頼るのでは無く、結局は逃避を止めて苦しみや不安と向かい合う覚悟を決め、自らが根本的な解決を図ろうとしなければならないと思います。そこには苦しみや不安が待っているかも知れませんが、希望もまたそこにあり、生きていると言う事は全ては「可能」な状態だと言えるのですから。

姫は自ら手を伸ばさなければ望んでいる世界は手に入らないと思っていますが、碇シンジの場合、その望んでいる世界の形が見えていないと言うところにも問題があるように思います。碇シンジは世界(客観)と向かい合う前に先ずは自分自身と向かい合い、自分の望む(自分を含んだ)世界、自分が何を世界に望んでいるのかをきちんと把握する必要があるのでは無いかと思います。それが世界に帰還するための動機にもなると思います。

苦しみから逃れるために戦う事を止めた自分、理性的な葛藤を行う事を放棄し(あるいは自我による制御が出来ない状態に陥り)、リビドーが起こればそれに身を任せ、デストルドーが起これば何もせずに死を願う自分、死を願いながらもどうして良いのか分からずにただ他者による救済を望む自分、どの自分も嫌悪、罪悪感、自責を引き起こす対象になっているのだから...未来を描かずに戦わなくなった人間は死に向かうだけなのかも知れません...。碇シンジを見ていてそう思いました。

碇シンジの手...渚カヲルを殺害し(実際にはエヴァ初号機の手ですが、その意志は碇シンジのもの)、惣流・アスカ・ラングレーを前に自慰行為を行い自分自身を絶望に追い込んだ手はここでは自らの膝(自分)を抱えるためのものにしか過ぎなくなっていました。自分を守るために戦いを放棄した碇シンジを象徴するかのように...。碇シンジがこの先、個として全の中に自分を場所を築いて行くためには今や膝を抱えるしか無くなってしまったその手を世界と戦うための手、意志を実行するための手に変える必要があると思います。

エヴァ初号機へと移動中 : 葛城ミサト

UN軍の投下したN2爆弾によってジオフロントの天井には大きな円形の穴が作られ、その穴を通して無数のミサイルがジオフロント内へと着弾。ジオフロントへの攻撃が激しくなる中、葛城ミサトは碇シンジを連れてエヴァンゲリオン初号機の下へと移動中でした。以下、その時の葛城ミサトの台詞です。

葛城ミサト :
「サードインパクトを起こすつもりなのよ。使徒ではなくエヴァシリーズを使ってね」

葛城ミサト :
「15年前のセカンドインパクトは、人間に仕組まれたものだったわ」

葛城ミサト :
「けどそれは、他の使徒が覚醒する前に、アダムを卵にまで還元する事によって被害を最小限に食い止めるためだったのよ」

葛城ミサト :
「シンジ君、私達人間もね、アダムと同じリリスと呼ばれる生命体の源から生まれた18番目の使徒なのよ」

葛城ミサト :
「他の使徒達は別の可能性だったの。人の形を捨てた人類よ。ただ、お互いを拒絶するしかなかった悲しい存在だったけどね。同じ人間同士も」

葛城ミサト :
「いいシンジ君、エヴァシリーズを全て消滅させるのよ。生き残る手段はそれしか無いわ」

この場面では葛城ミサトによってセカンドインパクトや使徒や人間に就いての真実が語られています。

ゼーレはエヴァシリーズを使ったサードインパクトを起こすつもりでいるらしく、そのために必要なエヴァをNERVから接収するために(ゼーレとは別のシナリオを進めている碇ゲンドウが素直にエヴァを渡すとは考えられず)UN軍を攻め込ませたようです。

葛城ミサトの話には含まれていませんが、軍事力を使って早急にエヴァを手に入れようとしているのは、恐らく、碇ゲンドウのシナリオをこれ以上進めさせる訳にはいかないと言う理由もあるのでは無いかと思います。

セカンドインパクトに就いては、他の使徒が覚醒する前にアダムを卵にまで還元する事によって被害を最小限に食い止めるためのものだったと説明しています。そして、それを引き起こしたのは人間のようです。「人間に仕組まれたもの」と言うのはゼーレと碇ゲンドウがセカンドインパクト前に南極を離れて無事だった事と関係があるのかも知れません。

人間に就いては、人間はリリスから生まれた生命体であり、言うなれば18番目の使徒だと言う事です。ここではアダム、リリスの事を「生命体の源」と表現しています。

アダムは聖書(キリスト教徒が言うところで言えば旧約聖書)では人類最初の人間とされる人間で、後にそのアダムの肋骨からイヴ(エヴァ)が作られたとされています。

リリス(Lilith)はイヴ(エヴァ)の前にいたとされる最初の女、神が天地創造の第六の日に自分(達)に似せて作ったと言う「男と女」の「女」で(「男」はアダム)、アダムの最初の妻だったとされる女です。アダムとの間、あるいはエデンの園から去った後にサタンとの間に子供を作ったとされています。リリスは天体では暗い月。クリフォトでは第10のクリファ(マルクトの悪しき局面が顕著になった状態)に関連付けられます。

第17使徒である渚カヲルは人間の事を「リリン」と呼んでいましたが、リリン(Lilin)とはリリスの子供達の事であり、渚カヲルも人間がリリスから生まれた生命体だと言う事を知っていたようです。

ここまでで分かった事を纏めると以下のようになります。

  • 使徒 : アダムから生まれた生命体
  • 人間 : リリスから生まれた生命体
  • エヴァ初号機 : リリスの分身
  • 初号機以外のエヴァ : アダムから作り出したもの

...話は変わりますが、姫はこの場面では伊吹マヤの台詞から葛城ミサトの台詞へと繫がるところが好きです。

伊吹マヤ(第二発令所) :
「ねぇ。どうしてそんなにエヴァが欲しいの」

葛城ミサト(初号機のあるケージへと移動中) :
「サードインパクトを起こすつもりなのよ。使徒ではなくエヴァシリーズを使ってね」

この離れた場所にいながら会話が繫がる演出は「ふしぎの海のナディア」を見ていた時の感覚を呼び起こしてくれます。(姫はエヴァと同じくらい「ふしぎの海のナディア」も好きです。)

エヴァンゲリオン弐号機 起動 : 惣流・アスカ・ラングレー

地底湖に水深70に固定されていたエヴァンゲリオン弐号機がUN軍の爆雷攻撃を受ける場面。以下、惣流・アスカ・ラングレーの台詞から。

惣流・アスカ・ラングレー :
「死ぬのは嫌、死ぬのは嫌、死ぬのは嫌、死ぬのは嫌、死ぬのは嫌...(繰り返し)...死ぬのは嫌(絶叫)」

惣流・アスカ・ラングレー(幼い) :
「ママ、ここにいたのね。...ママ」

絶叫の後、惣流・アスカ・ラングレーはエヴァンゲリオン弐号機の中で母親の存在を感じ、それと同時に巨大な光の十字が地底湖から上がりエヴァンゲリオン弐号機が起動。惣流・アスカ・ラングレーの精神状態は回復し、シンクロ率も復活していました。

惣流・アスカ・ラングレーの復活はエヴァ弐号機の中で母親の存在を感じた事も大きかったように思えますが、その前に死へのイメージが惣流・アスカ・ラングレーを生へと向けたのでは無いかと思われます。

以下、UN軍との戦闘中の惣流・アスカ・ラングレーの台詞から。

惣流・アスカ・ラングレー :
「ママ、ママ、分かったわ。A.T.フィールドの意味」

惣流・アスカ・ラングレー :
「私を守ってくれてる。私を見てくれてる」

惣流・アスカ・ラングレー :
「ずっと、ずっと、一緒だったのね。ママ」

惣流・アスカ・ラングレーの台詞からエヴァンゲリオン弐号機の無意識の領域(本能的部分、霊的部分)には惣流・アスカ・ラングレーの母親、惣流・キョウコ・ツェッペリンの心が沈められている(使われている)ものと考えられます。惣流・キョウコ・ツェッペリンの心、特に個たる部分である魂は、エヴァンゲリオン弐号機の無意識へと沈み(恐らく霊化し)、惣流・アスカ・ラングレーはそれと接触したように見られます。

惣流・アスカ・ラングレーは幼児期に母親に存在を認められなかった事、母親の愛の下に無かった事が心の底に残っていたようでしたが、ここではそれが解消され、惣流・アスカ・ラングレーは願望の充足と共に存在理由を取り戻したようです。

ただ、この惣流・アスカ・ラングレーの復活は母親に依存している状態ように見え、自立による復活(自分によって自分を得た)とは言えないと思います。そのため、母親が自分を見てくれなくなれば再び自分の存在理由を見失ってしまう事もあるのでは無いかと思います。

碇シンジは惣流・アスカ・ラングレーの無事を聞いて少しだけ反応を見せていました。惣流・アスカ・ラングレーが動かなかった時に惣流・アスカ・ラングレーに散々助けを求めていた碇シンジ...今こそ惣流・アスカ・ラングレーに助けを求めに行く時のように思われますが、しかし、ここでの碇シンジにはそのような素振りは全く見られませんでした。意識を取り戻したら取り戻したで不都合なのかも知れません。

エヴァンゲリオン量産機 05号機-13号機 投入

惣流・アスカ・ラングレーのエヴァンゲリオン弐号機がUN軍を圧倒し、軍事力を次々と無能力化して行く光景を見たゼーレはエヴァンゲリオン量産機の投入を行います。以下、その際の台詞です。

SEELE 01(キール・ローレンツ) :
「忌むべき存在のエヴァ。またもわれらの妨げとなるか」、「やはり毒は同じ毒を以て制すべきだな」

ゼーレはエヴァ(エヴァンゲリオン弐号機)を「忌むべき存在」と表現しています。リリスはアダムと仲違いして楽園を後にしましたが、アダムの妻であるエヴァ、あるいはアダムのコピーであるエヴァンゲリオンはリリスの子供であるリリン(人間)から見れば忌むべき存在と言う事になるのかも知れません。

「同じ毒」と呼んでいる事からエヴァシリーズはエヴァンゲリオン弐号機と同様のアダムのコピーだと思われます。

エヴァシリーズに挿入されたダミープラグには「KAWORU」の文字が見えました。渚カヲルのパーソナルが移植されてるものと思われます。

輸送機から降下したエヴァシリーズはジオフロント上空で羽を広げ、エヴァンゲリオン弐号機の囲むように旋回していました。

ダミープラグ KAWORU

エヴァシリーズのダミープラグ。「KAWORU」の文字が見える。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

ジオフロント上空を周回するエヴァシリーズ

ジオフロント上空を旋回するエヴァシリーズ。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

魂のルフラン(REBIRTH編 エンディング)

  • 主題歌「魂のルフラン」
    • 詞 : 及川 眠子
    • 曲・編 : 大森 俊之
    • 歌唱 : 高橋 洋子

シト新生 : DEATH & REBIRTH」の「REBIRTH」編ではエヴァシリーズがジオフロント上空を旋回する場面で「魂のルフラン」が流れて始め、そのままエンディング(スタッフ紹介画面、「EVANGELION :REBIRTH」の表示、「完」の表示、エンドロール(スタッフロール))へと切り替わります。

姫は「シト新生 : DEATH & REBIRTH」の「DEATH」編と「REBIRTH」編を見て、それから完結編となる「THE END OF EVANGELION AIR/まごころを、君に」を見たのですが、「REBIRTH」編でのこの終わり方は続きが非常に気になる終わり方であり、「REBIRTH」編のエンディングの後に早く続きを見たくなった事を憶えています。

当時、実際に劇場で「シト新生 : DEATH & REBIRTH」を見た人達がこの終わり方で納得したかどうかは姫には分かりませんが、その後に用意されていた完結編、「THE END OF EVANGELION AIR/まごころを、君に」への期待を抱かずにはいられない終わり方だったのでは無いかと思います。

ジオフロント上空を周回するエヴァシリーズ

ジオフロント上空を周回する9機のエヴァシリーズ。ここで「魂のルフラン」が流れ始める。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

スタッフ紹介

「魂のルフラン」が流れる中、スタッフ紹介の画面表示に入る。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

スタッフ紹介

画面を切り替えた形でのスタッフ紹介が続き...。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

「EVANGELION :REBIRTH」

「EVANGELION :REBIRTH」が表示され...。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

「完」

「完」が表示される。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

エンドロール(スタッフロール)

その後、エンドロール(スタッフロール)が流れ、終わる。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「シト新生 : DEATH & REBIRTH」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

エヴァシリーズ

以下、エヴァシリーズの投入を目にした冬月コウゾウの台詞です。

冬月コウゾウ :
「S2機関搭載型を9体、全機投入とは、大げさすぎるな。まさか、ここで起こすつもりか」

エヴァンゲリオン量産機は全部で9体あり、その全機がジオフロントに投入された事になります。冬月コウゾウの言った「まさか、ここで起こすつもりか」はサードインパクトの事だと思われ、やはりサードインパクトを引き起こすためにはS2機関搭載型のエヴァ量産機が必要なようです。それも数が無ければいけないようです。

エヴァンゲリオン05号機から13号機はどれも同じ形をしています。S2機関搭載型のため電源ケーブルは必要としていないようです。装甲板(拘束具)を持たず、武器は大剣のみのようです。頭部には目が無く、印象的な口が付いています。

エヴァンゲリオン弐号機 対 エヴァンゲリオン量産機

UN軍との戦闘でエヴァンゲリオン弐号機のアンビリカルケーブルが失われていたため、惣流・アスカ・ラングレーは内部電源の残っている約3分半で9機のエヴァシリーズを殲滅しなければならなっていましたが、エヴァンゲリオン量産機は動きが鈍く、耐久性も低いようで、惣流・アスカ・ラングレーのエヴァ弐号機は次々にエヴァ量産機の破壊に成功していました。

エヴァンゲリオン量産機はどの機体も動きが鈍く、エヴァンゲリオン弐号機の動きに反応しきれていないようでした。エヴァ量産機は意識活動が鈍いようにも見え、機体の動きが鈍さは意識活動の低さから来ているのかも知れません。だとすれば構造的な問題を抱えていると言うよりも、ダミープラグを原因としている可能性が強そうです。

エヴァンゲリオン量産機は機体の耐久性が低く、エヴァンゲリオン弐号機の攻撃を受けると簡単に機体を損傷していました。装甲板(拘束具)が無いにしても脆過ぎるように見えます。

エヴァンゲリオン量産機は個々の機体の戦闘力が低いのにも拘らず、数的優位を生かした戦術的な行動を取る事はありませんでした。(ダミープラグのためか)意識活動が低いため戦術的な行動は無理なのかも知れません。

エヴァ初号機へと移動中 2 : 葛城ミサトと碇シンジ

葛城ミサトは碇シンジをエヴァンゲリオン初号機の下へと運んでいる途中、非常用直通昇降機第6番入り口の前でUN軍兵士の銃撃により被弾し、(どういうようにして当たったのかは良く分かりませんでしたが)右脇腹を負傷していました。葛城ミサトの駆け込んだ場所が爆破予定地になっていたためUN軍による追撃は受けなかったものの、葛城ミサトの負った傷は深そうでした。

以下、R-20のエレベーターに碇シンジを乗せる前の葛城ミサトと碇シンジの台詞から。

葛城ミサト :
「いい、シンジ君。ここから先はもうあなた一人よ、全て一人で決めなさい、誰の助けも無く」

碇シンジはこれと似たような事を今までにも言われています。

第拾九話「男の戰い」の加持リョウジの台詞...「シンジ君、おれはここで水を撒く事しか出来ない。だが君には、君しか出来ない、君になら出来る事があるはずだ。誰も君に強要はしない、自分で考え、自分で決めろ...自分が今、何をすべきなのか。ま、後悔の無いようにな」...。碇シンジはこの時は加持リョウジのこの言葉でエヴァンゲリオン初号機に再び乗り込む事を決断していました。

第弐拾話「心のかたち人のかたち」の葛城ミサトの台詞...「ただ、これからの自分をどうするか、自分で決めなさい」...。この時、碇シンジはエヴァンゲリオン初号機に取り込まれていたため、この葛城ミサトは碇シンジの心の中の葛城ミサトだと考えられます。碇シンジの心の中には自分の事をどうするかは自分で決めなければいけないと言う思いがあって、それが碇シンジの無意識下では葛城ミサトのイメージと結び付いているようです。

碇シンジ :
「僕は駄目だ。駄目なんですよ。人を傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗るなんて、そんな資格ないんだ」

碇シンジ :
「僕はエヴァに乗るしか無いと思ってた。でもそんなの誤魔化しだ。何も分かってない僕にはエヴァに乗る価値も無い。僕には人のために出来る事なんてなんにも無いんだ」

碇シンジ :
「アスカに酷い事したんだ。カヲル君も殺してしまったんだ。優しさなんか欠片も無い、ずるくて臆病なだけだ。僕には人を傷つける事しか出来ないんだ、だったら何もしない方がいい」

ここでの碇シンジの台詞から碇シンジが自分の逃避を自覚していると言う事が分かります。逃避は自我の防衛のために行われますが、しかし、それは根本的な解決を生むものでは無く、逃避の先には本来の願望(恐らく碇シンジの場合はまだ見付けていない)が満たされない事による不満(願望の形が見えなくとも今の状況が望んでいるもので無い事は感じる)が残ります。そして自身が逃避している事を自覚している場合はその不満はより大きなものになります。碇シンジの場合も自身の逃避を自覚しているため不満がより大きなものになっているのでは無いかと思われます。

しかし、逃避を自覚していると言う事は自らの意志さえあれば逃避から脱する事も可能な状態だとも言えます。心的状況で言えば今回の逃避は以前の逃避時よりも深刻かも知れませんが...それでも葛城ミサトに自分の思いをぶつけているこの段階ではまだ自らの意志によって逃避から脱する可能性も残されているように思います。

碇シンジの場合は「僕には人のために出来る事なんてなんにも無いんだ」と言うよりも(恐らく他人に対する臆病さも関係して)「他人のために何かしようとしない」と言った方が適切なように思います。

アスカに酷い事したんだ」は病室で惣流・アスカ・ラングレーの裸体を前に及んだ自慰行為の事だと思われます。姫としては動けないを良い事に相手の事も考えず勝手に縋り付いていた事も十分に酷い事のように思えますが...。

碇シンジは自分の事を「優しさなんか欠片も無い」と言っていますが、(渚カヲルを殺害し、惣流・アスカ・ラングラーの前で自慰を行い、現在のような状態に陥った碇シンジに就いては分かりませんが、)少なくとも以前の碇シンジには多少ながらも優しさと言うものがあったように思われます。(例えばヤシマ作戦の後、綾波レイの事を心配したように。)ただ、ここでは「優しい事を思わない、しない」が「優しさが無い」事では無く、「酷い事をする」が「優しさが無い」事の定義になっているようにも聞こえますので、以前に碇シンジが見せた優しさとその有り無しは関係無いのかも知れません...。

碇シンジは普通の優しさに就いても以前から余り見せる事はありませんでしたが、碇シンジの場合はそれは優しさに限った事では無く、そもそも他人に対して能動的に何かをしようとする事が少なく、例え優しさがあったとしても、それを積極的に表現しようとしないと言ったところがあるのでは無いかと思われます。また、表現するにしてもその方法が分からないと言うところもあるように思われます。他人との付き合い方を知らず、他人に対して臆病で、他人との接触を避けて来た碇シンジにとっては他人に対して優しくする事は簡単な事では無いのかも知れません。

碇シンジには(自分が苦しい時などは特に)自分の事ばかりを考えて相手の事を全く考えないところがあり、これを優しさの無い状態と呼ぶのであれば今は正にその優しさの無い状態だと言えるのでは無いかと思います...。

碇シンジは、他人に優しくしようとしないだけで無く、他人から一方的に優しくして貰う事を望んでいるところがあり、姫としては他人に対する優しさの有り無しよりも、むしろ、こちらの甘えた態度の方が問題のような気がします。

ずるくて臆病」と言う言葉は碇シンジにぴったりの言葉なのでは無いかと思います。今の碇シンジは逃避した上にそれを自覚していながら都合の良いように誤魔化しを行って正当化を図ろうとしている状態であり、正に「ずるくて臆病」な自分を存分に発揮している状態に見えます。そしてずるくて臆病だと分かっていながらそれを何とかしようとする気も無いようです。自分の悪い部分を把握していながらそれすら言い訳のために利用している状態です。「仕方が無い」とでも思っているのかも知れません。

碇シンジの「ずるくて臆病」な面は碇シンジの普段の行いや対人関係の中にも見る事が出来ますが、ここではそれが極まっているように見えます。

碇シンジのずるさは臆病さから生じているのかも知れません。碇シンジのずるさの多くは臆病な自分を守るためのもののように見えます。

僕には人を傷つける事しか出来ないんだ、だったら何もしない方がいい」...これが戦い(個として生きる事)を放棄した理由のようですが、これは都合の良い誤魔化し(逃避の合理化)でしか無いと思います。自分が何を本当に望んでいるのか...その形が見えていないとしても「何もしない方がいい」は碇シンジの望んでいる姿では無いと思われますので...。それは現状に不満を抱えている碇シンジの姿からも見て取れます。しかし、それでもこれ以上の苦しみを避けるために意識的に「これで良い」と思い込もうとしているようです。

碇シンジの場合は逃避を自覚しながらも逃避を続けようとしているところに問題があり、本人も逃避を続けたところで何も解決しないと言う事に気が付いているように思えますが、分かっていても不満を解消する手段(苦しみと向かい合って戦う以外の手段)が見付からずに逃避を続け、苦しみもがいているように見えます。誤魔化し(逃避)に誤魔化し(逃避によって生まれた不満を消すために行った合理化)を重ね、それでも不満は無くならず楽にならないのだから...今の自分を嫌い、積極的な死も望まず、この世にしがみつくのであればやはり戦うしか道は残されていないように思います...。それは辛く苦しい思いを伴うため「嫌」なようですが...。

また、「僕には人を傷つける事しか出来ないんだ、だったら何もしない方がいい」は「他人を傷つけないために(不本意ながらも)何もしない事にした」と言っているようにも聞こえます。碇シンジは自分が苦しむ事...他人を傷つける事によって自分が傷付く(フロイト的に言えば超自我に咎められる)...その事を避けようとして今の「何もしようとしない状態」へと流れ着いたものと思われますが、この碇シンジの言い方は強い意志を持たずに楽な方へと流されて来た軟弱な自分を他人を利用して(優しさの欠片も無いと言っておきながら優しい振りをして)正当化しているだけのように見えます。「ずるい」言い回しなのかも知れません。

碇シンジは「僕はエヴァに乗るしか無いと思ってた。でもそんなの誤魔化しだ」と言っていますが...自我の防衛のために逃避している事がそもそも自分に対する誤魔化しであり、(「エヴァに乗るしか無い」かどうかは別にして、)その誤魔化しをしている今の自分(逃げ出した自分)を正当化するために(更に誤魔化すために)過去の自分を「誤魔化し」と呼んでいるだけのように見えます。

ここでの碇シンジの台詞は...自分の都合の良いように断定を行ったり、誤魔化しを嫌った口調で誤魔化しを行ったりと...全て「ずるい」言い回しになっているように聞こえます。

葛城ミサト :
「同情なんかしないわよ。自分が傷付くのが嫌だったら何もせずに死になさい」

碇シンジ :
「...(泣くシンジ)」

葛城ミサト :
「今、泣いたってどうにもならないわ」

碇シンジ :
「...(泣くシンジ)」

葛城ミサト :
「自分が嫌いなのね。だから人も傷付ける。自分が傷付くより人を傷付けた方が心が痛い事を知っているから。でも、どんな思いが待っていてもそれはあなたが自分一人で決めた事だわ。価値のある事なのよシンジ君。あなた自身の事なのよ。誤魔化さずに自分に出来る事を考え、償いは自分でやりなさい」

ここでの葛城ミサトは理解を示しながらも厳しく個の自立を即す辺りは母親と言うよりも父親に近い役割にあるのかも知れません。今の碇シンジには厳しさは苦しみにしかならないと思われますが、碇シンジの事を考えているからこそ、分かった上で碇シンジを戦いに向かわせようとしているようです。

碇シンジ :
「ミサトさんだって他人のくせに。なんにも分かってないくせに」

葛城ミサト :
「他人だからどうだってのよ。あんたこのままやめるつもり?今、ここで何もしなかったらあたし許さないからね、一生あんたを許さないからね。今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき後悔する、あたしはその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、その度に前に進めた気がする」

ミサトさんだって他人のくせに。なんにも分かってないくせに」...は、母親を幼児期に失い、父親に捨てられ、希薄な人間関係の中に身を置き、自分の事ばかりしか考えない碇シンジらしい言葉のように聞こえます。

これは以前にも似たような台詞が登場しています。

第四話「雨、逃げ出した後」の碇シンジの台詞...「ミサトさんは他人なんだから」...。

葛城ミサトは碇シンジの事を、少なくとも碇シンジが思っているよりも、理解しているように思われます。碇シンジには辛い事を強いている言葉に聞こえているのかも知れませんが、逃避が一時凌ぎでしか無く根本的な解決を生まない事、(積極的な死を選ばずに生きて行かなければならないとなった中では)良い事も嫌な事も全て抱えて前に(生きる事に適応して)進まなければならない事を知っていて、誰よりも碇シンジの事を親身になって考えているからこそ言っているのだと思います。それが碇シンジにとって辛い事だと分かっていながら、碇シンジが碇シンジとして世界で生きて行くために...。

もしここで仮に誰かが碇シンジに無条件の愛情や優しさ、居心地の良い場所を提供したなら碇シンジはそれに安易に飛び付くのかも知れません。しかし、それはただの新しい逃避場所でしか無く、自分自身として生きられない事の不満を抱えます。その不満を取り払い碇シンジが碇シンジとして生きて行くためには、やはり、その飲み込まれた状態から離脱(自立)するための戦いが必要になります。しかし、その時になって戦ったとしても今の碇シンジの望んでいる世界は手に入らないかも知れず、戦うなら今(常に)、目の前にあるものと対峙して戦わなければいけないと思います。取り返しの付かない後悔が残らないように。

碇シンジは碇シンジの事を考えて親身になってくれている人間が目の前にいると言うのに既に自分の事で精一杯なようです。葛城ミサトの事を苦しみを強要するだけの都合の悪い存在だと感じているのかも知れません。碇シンジが「他人のくせに」と言った他人は現状においては最も碇シンジの事を考えてくれている人間だと言うのに...。

碇シンジは「僕には人を傷つける事しか出来ないんだ、だったら何もしない方がいい」と言った側から葛城ミサトを傷つける可能性のある言葉を口にしているように思います。だからと言って「何もしない方がいい」とはなりませんが...。

葛城ミサト :
「いい、シンジ君、もう一度エヴァに乗ってケリを付けなさい。エヴァに乗っていた自分に。何のためにここに来たのか、何のためにここにいるのか、今の自分の答えを見付けなさい。そしてケリを付けたら必ず戻って来るのよ」

これも以前に出て来た内容の話です。

第壱話「使徒、襲来」でのエヴァンゲリオン初号機の前での葛城ミサトの台詞...「乗りなさい」「シンジ君、何のためにここに来たの」「だめよ逃げちゃ。お父さんから、何よりも自分から」...。

第弐拾話「心のかたち 人のかたち」で碇シンジがエヴァ初号機に取り込まれていた時の碇シンジの心の中の葛城ミサトの台詞...「シンジ君、あなたはエヴァに乗ったから今ここにいるのよ。エヴァに乗ったから今のあなたになったのよ。その事を、エヴァに乗っていた事実を、今までの自分を、自分の過去を否定する事は出来ないわ。ただ、これからの自分をどうするかは自分で決めなさい」...。

...嫌だと思いながらもエヴァに乗っていたのはなぜか、嫌いだった父親の元に来たのはなぜか、第3新東京市から出て行く事も出来たのにそうしなかったのはなぜか。碇シンジの場合は放棄した後に思い直す事が多いので今回も放棄しなければ何も見付けられないのかも知れません。今の碇シンジは自分自身に強い嫌悪を抱いているようなので今度は自分そのものを放棄する必要がありそうです。(第26'話「まごころを、君に」では自分(それは同時に世界)を完全に放棄した後、再び世界を望み、その中で碇シンジとして生きて行く事を決意しています。)

葛城ミサト (十字型ペンダントを渡して) :「約束よ。いってらっしゃい」

葛城ミサト (シンジにキスをして) :「大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょ」

さっきまでは理解のある厳しい父親のような役割を果たしていた葛城ミサトですが、ここでは一転して女性としての存在になっているようです。

碇シンジが葛城ミサトに手渡れた十字型ペンダントは物質世界の象徴であると共に、物質的に碇シンジの元に残された他人との繫がりを表しているように思います。

葛城ミサトが碇シンジに行ったキスは碇シンジに他人との繫がり、この世界(客体)との感覚的な繫がりを確認させた行為なのかも知れません。女性的な優しさを見せつつリビドー(生の本能)に訴えかけているように見えました。

エヴァンゲリオンの中では碇シンジの唇が扱われる場面が何度かありました。寝ている惣流・アスカ・ラングレーにキスをしようとした時、惣流・アスカ・ラングレーと実際にキスをした時、過去のイメージの中で碇ユイの乳房を吸っている時、そしてこの場面、葛城ミサトとキスをした時...。この葛城ミサトのキスで客体の存在、他人との繫がりを求めるようになれば(リビドーが優勢になれば)良いのだけど...直ぐには効果はなさそうです。

このエレベーター前で碇シンジが葛城ミサトに言われた一連の事は、碇シンジ自身も言われるまでも無く自覚してる部分が多かれ少なかれあるものと思われます。ただ、分かってはいても自分ではどうする事も出来ない状態(少なくとも自身ではそう感じている状態)にあるように見えます。その思うように行かない事への不満も碇シンジの苦しみを強くしているものと思われ、碇シンジの不満足を解消するためには逃避を止めて戦って解決するしか無いように思います。「何もしたく無い」、「誰か何とかしてよ」では状況の改善は望めません。ただ、碇シンジの場合は戦って傷付いているところもあり、再び苦しみと向き合う覚悟を持てるかどうかは碇シンジ次第だと思います。以前に逃げ出した時のように再び立ち上がる事が出来れば良いのですが...その意志も切っ掛けも今のところは見えません...。

葛城ミサトの死

葛城ミサトはエレベーター前で碇シンジにキスをした後、碇シンジをエレベーターに押し込みエヴァンゲリオン初号機の下へと送り出します。一人残った葛城ミサトはその場で力尽き、フロアの爆発に巻き込まれて死亡していました。碇シンジは下降するエレベーターの中で一人で泣いていました。

死の直前の葛城ミサトの傍らには綾波レイの姿がありました。

爆発に巻き込まれた葛城ミサトの身体は上半身と下半身に両断される形で千切れていました...。

葛城ミサトの死 1

死の間際の葛城ミサトの傍らには綾波レイの姿が...。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

葛城ミサトの死 2

爆発によって千切れ飛ぶ葛城ミサトの身体。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

ターミナルドグマ : リリス

ターミナルドグマのリリスの前に碇ゲンドウと綾波レイがやって来た場面。

リリスは足が生えた状態になっていました。(「リニューアル版」ではロンギヌスの槍を引き抜くと同時に足が生えていましたが、「TV版」では足が生える場面はありませんでした。)

リリスの下腹部からはLCLらしき液体が流れ落ちていました。子宮から流れ出している経血(生理的出血)のようにも見えますが、このLCLらしき液体は、以前、リリスにロンギヌスの槍が刺さっていた時(リリスの下半身が無い時点)にも流れ出していて、その時には(ロンギヌスの槍による傷のようなものは見られませんでしたが)ロンギヌスの槍の刺さっている身体の箇所の裏側、心臓の裏側から流れ出しているように見えました。今もその時の箇所から流れ出しているのかも知れません。(その後の場面ではこの流出は見られませんでした。)

リリスは七つの目を持っています。これは実際には仮面であり、第26'話「まごころを、君に」の中で剥がれ落ちます。「七つ目を持つ子羊」=「キリスト(第二のアダム)」と言う事で、リリスをアダムと偽るために付けたのかも知れません。

リリスの仮面には七つの目の他にも下向きの三角形が描かれています。下向きの三角形には様々な象徴敵な意味があります。元素記号では「水」の記号、大宇宙と小宇宙では小宇宙(人間)、男性原理と女性原理では女性原理、超意識と意識では「意識」を表します。また、「父と母と子」を表す事もあります。

リリスの仮面には月のクレーターのようなものが見られます。月は女性性の象徴でもあります。

リリスとLCL 1

リリスから流れ落ちるLCLらしき液体は経血(生理的出血)のようにも見えるが...。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

リリスとLCL 2(第弐拾四話「最後のシ者」)

第弐拾四話「最後のシ者」より。実際にはリリスの身体の裏側から流れ落ちているものと思われる...。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン (c) GAINAX ]

リリスとLCL 3

その後の場面ではLCLの流出は見られない。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

七つの目を持つリリス

リリスの顔には七つの目と下向きの三角形が見られる。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

ターミナルドグマ : 赤木リツコと碇ゲンドウ

ターミナルドグマのリリスの前に碇ゲンドウと綾波レイがやって来た場面。ターミナルドグマには赤木リツコが先回りして碇ゲンドウを待っていました。

赤木リツコは銃を片手に持ち、その銃口を碇ゲンドウに向け、そしてマギのプログラムを変えたと言って白衣のポケットの中で自爆スイッチらしきものを押します。しかし、それは赤木リツコの思惑通りには作動しませんでした。自爆をさせるために使用した端末(端末には「MOTION:SELF DESTRUCTION」の文字があり、自爆を行おうとした事が分かる)を赤木リツコが見ると、「MELCHIOR(メルキオール)」は認証、「BALTHASAR(バルタザール)」は認証となっていましたが、「CASPER(カスパー)」が否定となっていて、三者一致とならなかったため自爆は行われなかったようです。

マギには赤木リツコの母親である赤木ナオコの人格が移植されているようですが、ナオコは碇ゲンドウの愛人であった人物であり、そのナオコの女としての部分が娘の願いに反して否定(碇ゲンドウ側)に回ったようです。

自爆が行われずに終わった後、今度は逆に碇ゲンドウが赤木リツコ銃口を向けます。以下、その時の碇ゲンドウと赤木リツコの台詞です。

碇ゲンドウ :
「赤木リツコ君、本当に...」

赤木リツコ :
「嘘つき」

碇ゲンドウの台詞は「本当に」の後は口の動きだけで音声はありませんでした。でも、赤木リツコには碇ゲンドウが何を口にしたのか分かったようです。(あるいは聞こえていたか。)「嘘つき」と答えていました。姫には「愛していたよ」と言っているように見えました。

その後、碇ゲンドウは赤木リツコに向けて発砲。赤木リツコは(拳銃で撃たれたにしては凄い勢いで)後ろに吹き飛ばされ、LCLの海へと落ちていました。死を迎える寸前の赤木リツコの傍らには「綾波レイ」の姿がありました...。

赤木リツコは自分の愛が受け入れられない事により愛の対象に攻撃衝動を向けていました。そしてそれは同時に自分自身にも...。「Love is destructive.」の一つの形なのかも知れません。

自爆装置

赤木リツコの持つ端末には「MOTION:SELF DESTRUCTION」の文字が見える。(縮小画像上では判別不能。)

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

赤木リツコの死

銃弾を受けて吹き飛ぶ赤木リツコ。その傍らには綾波レイの姿が...。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

G線上のアリア(Air on the G String)

惣流・アスカ・ラングレーの9機のエヴァンゲリオン量産機を相手に孤軍奮闘するところからターミナルドグマでの碇ゲンドウによる赤木リツコの銃殺までの間、バッハの「G線上のアリア」が流れていました。

G線上のアリアは英語で綴ると「Air on the G String」となり、これは第25'話のタイトルである「Air」にも繫がります。

エヴァンゲリオン弐号機 沈黙 : 惣流・アスカ・ラングレー

惣流・アスカ・ラングレーは孤軍奮闘し、エヴァンゲリオン量産機を次々と活動停止に追い込んでいました。そして活動限界を迎える前に最後の2機を同時に撃破し、エヴァ量産機を全滅させる事に成功します。しかし、そこにエヴァ量産機の大剣が飛来。惣流・アスカ・ラングレーはATフィールドを展開してこれを防ごうとしますが、大剣はロンギヌスの槍に姿を変え、ATフィールドを突き破り、そのままエヴァンゲリオン弐号機の左目を貫いていました。惣流・アスカ・ラングレーのエヴァンゲリオン弐号機はそれと同時に内部電源の残量が無くなり、活動限界を向かえていました。エントリープラグ内の惣流・アスカ・ラングレーも左目を負傷していました。

その後、倒したはずのエヴァシリーズは自己修復によって全機とも復活していました。そして活動を再開したエヴァシリーズは動けないエヴァンゲリオン弐号機に襲い掛かり、機体を舐め回し啄ばんでいました。エヴァ弐号機の機体の腹部からは腸らしきものが引き出されていました...。

エヴァンゲリオン弐号機は活動停止を迎えていましたが、惣流・アスカ・ラングレーが「殺してやる、殺してやる、殺してやる...」と声を絞り出しながら天空に向かって右手を伸ばすと、その惣流・アスカ・ラングレーの執念に応えるかのようにエヴァンゲリオン弐号機は再度動き出していました。「暴走」したようです。しかし、機体の損傷が大き過ぎるためか、エヴァンゲリオン初号機が暴走した時に見せたような勢いは見られず、エヴァシリーズの舞っている天に向かって弱々しく右手を伸ばすのが精一杯のようでした。そこに2本目のロンギヌスの槍が飛んで来ます。ロンギヌスの槍はエヴァンゲリオン弐号機の天に向かって伸ばした右腕、そしてエントリープラグ内の惣流・アスカ・ラングレーの右腕を切り裂いていました。さらに7本のロンギヌスの槍が次々に飛んで来てエヴァンゲリオン弐号機に突き刺さり、9本のロンギヌスの槍に貫かれたエヴァンゲリオン弐号機は完全に沈黙していました。

肉体を持った生物としての惣流・アスカ・ラングレーの出番は、この後、第26'話「まごころを、君に」の最後の場面だけとなります。その間の惣流・アスカ・ラングレーがどのような状態にあったのかは不明です。天に伸ばした右腕が切り裂かれると同時にその意志(執念)も一緒に切り裂かれてしまったのか、ここでのエヴァンゲリオン弐号機の沈黙と共に精神活動を停止していたのかも知れません。

以前にリリスの身体に刺さっていたロンギヌスの槍は赤色をしていましたが、ここでの大剣が変化したロンギヌスの槍は灰色をしていました。後の第26'話「まごころを、君に」の中でゼーレが赤色のロンギヌスの槍を「オリジナル」と呼んでいる事から、この灰色のロンギヌスの槍は「オリジナル」の複製では無いかと思われます。そして、複製だとしてもATフィールドを貫く力は十分にあるようです。

本来の「ロンギヌスの槍」はキリスト磔刑の場面に出て来る十字架の上にあったキリスト(第二のアダム、地上のアダム)の右脇腹を刺したとされる槍の事を指します。ロンギヌスと言う兵士が持っていたとされ、そのため「ロンギヌスの槍」と呼ばれる事があるようです。この槍は物理的に見れば普通の槍ですが、キリストの血が付着した事からキリスト教では聖遺物として神聖視されているようです。

惣流・アスカ・ラングレーが戦い、散る中、碇シンジはエヴァンゲリオン初号機の前で膝を抱えていました。

エヴァンゲリオン弐号機とロンギヌスの槍

エヴァンゲリオン弐号機を9本のロンギヌスの槍が貫く。ウェイト版タロットカードの「剣の10」が思い起こされる。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

エヴァンゲリオン初号機 起動 : 碇シンジ

碇シンジはエヴァンゲリオン初号機がベークライトで固められていたためエヴァンゲリオン初号機に搭乗する事が出来ないでいるようでした。以下、その場面での碇シンジの台詞です。

碇シンジ :
「だってエヴァに乗れないんだ。どうしようも無いんだ」

この台詞は普段から都合の良い言い訳を沢山用意して生きている碇シンジらしい言葉にも思えます。確かにエヴァンゲリオン初号機に乗れない状況はあるにしても、ここでの碇シンジは積極的に乗ろうともしていないように見えました。

この直後、突如、エヴァンゲリオン初号機が動き、碇シンジのいる場所へと手を突き出します。その行動は泣き言を言っている碇シンジを叱っているかのようにも見えました。これと同時にエヴァンゲリオン初号機を囲んでいたベークライトが割れ、エヴァンゲリオン初号機は乗り込む事が可能な状態になっていました。

そして、碇シンジを乗せたエヴァンゲリオン初号機が起動。それと共にネルフ本部施設のピラミッド部分の下方から空へと向かって巨大な光の十字が出現し、それによってネルフ本部施設のピラミッド部分は大きく吹き飛ばされていました。光の十字が消えた後にはエヴァンゲリオン初号機の姿がありました。

このエヴァンゲリオン初号機も惣流・アスカ・ラングレーのエヴァンゲリオン弐号機もそうですが、最近のエヴァは起動直後にこの巨大な光の十字を出現させるようです。今まではそのような事は一度も無かったのですが...ここに来て...。

姿を現したエヴァンゲリオン初号機には今までには見られなかった大きなオレンジ色の羽が備わっていました。このオレンジ色の羽が何なのかは不明です。

また、どういう仕組みかは分かりませんが、エヴァンゲリオン初号機の機体は空中に浮かんだ状態で留まっていました。今までにエヴァンゲリオン初号機がこのような浮かび方を見せた事は無く、その浮かび方は完全に重力を解決しているようです(少なくともそのように見えます)。以前のエヴァンゲリオン初号機と比べて大きく違うところと言えば、外見的には大きなオレンジ色の羽が備わった事くらいかと思いますが、もしかするとこの羽が備わった事と何らかの関係があるのかも知れません。

宙に浮かぶエヴァンゲリオン初号機の周囲は嵐に包まれていました。なぜこのような嵐が起こったのかは不明です。本部施設爆発の余波...にしては不自然なように見えます。

エヴァシリーズが咥えているばらばらに食いちぎられたエヴァンゲリオン弐号機の姿を見た碇シンジはエヴァンゲリオン初号機のエントリープラグの中で発狂したとも思えるような声を上げて絶叫していました。

ここまでの場面では惣流・アスカ・ラングレーに関しては死亡の直接的な描写は無く、生死不明と捉える事も出来るのですが、恐らく、ここでの碇シンジはエヴァンゲリオン弐号機の様を見て惣流・アスカ・ラングレーの死を感じ取ったのでは無いかと思います。

エヴァンゲリオン初号機

起動したエヴァンゲリオン初号機には今までには無かった2枚のオレンジ色の羽が見られる。機体は重力を解決しているかの如く空中に浮き、その周りは原因不明の嵐に囲まれている。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-(エンディング)

  • エンディングテーマ「THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-」
    • 詞 : MASH
    • 曲・編 : 鷺巣 詩郎
    • 歌唱 : LOREN & MASH

エンドロールが流れます。エンディング曲は「THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-」です。

このエンディングは旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の「Air/まごころを、君に」(「DEATH(TRUE)2 & REBIRTH」+「Air/まごころを、君に」のDISC-2)の「Air」編、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版(revival of EVANGELION)」の「Air/まごころを、君に」(「DEATH(TRUE)2」+「Air/まごころを、君に」のDISC-2)の「Air」編と、旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」の「Air」(テレビシリーズと劇場版が混在。「終わる世界/Air/世界の中心でアイを叫んだけもの/まごころを、君に」の順で収録されている)とでは異なる部分が見られます。

旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の「Air」編のエンディングでは文字はオレンジ色のヒカリで照らされながら下から上へと向かって螺旋を描いて上って行きますが、旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」の「Air」編のエンディングでは白い文字が単純に下から上へと上って行くだけになっています。

また、旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の「Air」編のエンディングでは「まごころを、君に」編に関連する表示も一緒に行われ()、曲が最後まで使われる長いエンディングになっていますが、旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」の「Air」編のエンディングでは「まごころを、君に」編に関連する(それと分かるようにしてある)表示は見られず、使われている曲は「SHORT VERSION」となっていて、エンディングの時間も短くなっています。

(旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の「まごころを、君に」編ではエンディングは用意されていませんが、「Air」編のエンディングの中で「まごころを、君に」編に関連する表示を行っているためエンディングを置いていないのかも知れません。「まごころを、君に」編の終わりにエンディングを置かないようにするために「Air」編のエンディングの中で「まごころを、君に」編に関連する表示を行ったとも考えられます。)

「THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-」

旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」、新リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」の「Air」編のエンディング。文字がオレンジ色の光に照らされながら、螺旋を描いて上へと上って行く。中には「まごころを、君に」に関連する表示も含まれている。曲が最後まで使われ、エンディングの時間は長い。(引用画像は新リリース版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」。)

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

「THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-(SHORT VERSION)」

旧リリース版の「新世紀エヴァンゲリオン Volume7」の「Air」編のエンディング。白色の文字が下から上へと上がって行く。曲は「SHORT VERSION」となっていて、エンディングの時間は短い。

[ 画像引用元 : 新世紀エヴァンゲリオン劇場版「Air/まごころを、君に」 (c) GAINAX / EVA製作委員会 ]

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